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東京地方裁判所 昭和58年(ワ)4693号 判決 1984年7月12日

原告 亡甲野太郎相続財産

右代表者相続財産管理人 樋口家弘

被告 甲野花子

右訴訟代理人弁護士 市原敏夫

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、金一四二万〇四〇二円及びこれに対する昭和五八年五月二〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  亡甲野太郎(以下「太郎」という。)は、昭和五七年五月一七日死亡したが、妻の被告及びその他の戸籍上の相続人全員が相続放棄し、相続人のあることが明らかでないためその相続財産は法人となり、弁護士樋口家弘が相続財産管理人に選任された。

2  太郎は、株式会社平和相互銀行(以下「平和相互銀行」という。)新橋駅前支店に普通預金口座を有し、その残高は昭和五七年五月二六日現在金七一万四七二八円であったが、同日、被告は右預金から金七〇万円の払戻しを受けた。

3  また太郎は、株式会社富士銀行(以下「富士銀行」という。)久が原支店に金二二万〇四〇二円の普通預金と金五〇万円の定期預金を有していたが、被告は、太郎の死亡後右各預金の払戻しを受けた。

4  被告は、右2、3の各預金払戻しにより、法律上の原因なくして合計金一四二万〇四〇二円を利得し、原告に同額の損失を生じさせた。

5  よって、原告は被告に対し、不当利得返還請求権に基づき金一四二万〇四〇二円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和五八年五月二〇日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1、2の各事実は認める。

2  同3の事実は否認する。富士銀行久が原支店の太郎名義の各預金は、被告が、自己の所有する金員を太郎の名義を使用して預金したものである。

3  同4の事実は否認する。

三  抗弁

1  被告は、平和相互銀行及び富士銀行の前記各預金から払戻しを受けた金員を、すべて太郎の葬式費用の支払にあてた。

2  葬式費用は、本来、相続財産から支払われるべきものであり、民法三〇六条、三〇九条が葬式費用について相続財産に対し先取特権を認めているのも、相続財産に葬式費用の支払義務があることを前提とするからであると考えられる。そうすると、被告が、太郎の葬式費用を支払うために前記各預金の払戻しを受けたことは、太郎の遺族として相続財産のためにした事務管理行為であって、原告になんらの損失も生じさせるものではない。

3  仮に、被告の前記各預金払戻しが不当利得にあたるとしても、

(一) 被告は、太郎の葬式費用として、寺への布施回向料等だけでも金二〇〇万円を支払い、原告はこれらの費用の支出を免れて同額を不当利得した。

(二) 被告は、昭和五九年二月九日の本件口頭弁論期日において、原告の本訴請求債権と右不当利得返還請求権とを対当額で相殺する旨意思表示した。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の事実は不知。

2  同2の事実は否認する。

3  同3の(一)の事実は不知。

第三証拠《省略》

理由

一  相続財産法人の成立等

請求原因1の事実は、当事者間に争いがない。

二  平和相互銀行の預金について

太郎が、生前平和相互銀行新橋駅前支店に普通預金口座を有し、昭和五七年五月二六日現在金七一万四六二八円の残高があったが、被告は、同日、右残高のうち金七〇万の払戻しを受けたことは、当事者間に争いがない。

三  富士銀行の預金について

《証拠省略》によれば、次の事実を認めることができる。

1  太郎は、生前、鋼材等を扱う訴外乙山株式会社の代表取締役をしていたが、その妻であった被告に対し、家族の生活費として毎月四五万円を平和相互銀行の前記預金口座から払戻して使用するよう指示するとともに、生活費の余剰分は被告が自由につかってよい旨述べていたこと。

2  被告は、右生活費を預金しておくため、富士銀行久が原支店に太郎名義で普通預金口座を開設し、いったん右生活費を同口座に預金し、必要に応じて払戻しを受けて家族の生活費に支弁するほか、同口座から口座振替により電気、ガス、水道料金等の支払をし、更に、右生活費の余剰から同銀行同支店に金五〇万円を太郎名義で定期預金していたこと。

3  右富士銀行久が原支店の普通預金口座は、太郎の死亡した昭和五七年五月一七日現在金一二万〇四〇二円の残高があったが、同月二六日に金七〇万円が預金されて、同日中に金七〇万円が払戻され、その後同年六月中の電気、ガス、水道料金等の口座振替により合計金七万六九〇〇円が引き落とされたのち、同年二日に金一〇万円の預金があり、次いで同年七月中の電気、ガス、電話料金等の口座振替により金七万八六〇八円が引き落とされたのち、同月二三日解約により金六万四八九四円が払戻されたこと及び右預金の印鑑と通帳は、被告が保管していたものであり、太郎死亡後の同預金口座への入金や、口座振替を除く払戻し(解約によるものを含む。)は、いずれも被告がしたものと推定されること。

4  被告は、富士銀行久が原支店の前記五〇万円の定期預金も、太郎の死亡後に払戻しを受けたこと。

以上の事実を認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

右の事実によれば、富士銀行久が原支店の普通預金口座は、太郎が得た収入から毎月被告に渡されていた生活費によって構成されたものということができる。

ところで、夫が収入の一部を生活費として妻に渡した場合に、直ちに右生活費が妻の特有財産になると解するべきではなく、右生活費は夫婦共同生活の基金としての性質を有するものであるから、夫婦の共有財産と解するのが相当である。そうすると、被告が、右生活費を太郎名義で預金した富士銀行久が原支店の普通預金口座の預金も太郎と被告の共有財産とみることができる。そして、右口座の残高は、太郎の死亡当時金一二万〇四〇二円あったところ、その後同年六月中に電気、ガス、水道料金等の口座振替により合計金七万六九〇〇円が引き落とされているのであるが、この口座振替には太郎の存命中の夫婦共同生活によって生じた費用の支払が含まれているものと推定され、かつ右口座振替によって引落された金額のうち、太郎の死亡後に生じた電気、ガス、水道料を区別して控除することも証拠上不可能であるから、右六月中の口座振替により引き落とされた金額は、全額太郎と被告の夫婦共同生活の費用にあてられたものとして、これを控除すると、残額は金四万三五〇二円となり、その二分の一は金二万一七五一円であるから、被告が右口座から払戻しを受けた金額のうち金二万一七五一円が、太郎の相続財産に帰属すべき金額と認めることができる。

次に、富士銀行久が原支店の前記五〇万円の定期預金は、前記のとおり被告が太郎から渡された生活費の余剰を預金したものであり、被告が生前太郎から生活費の余剰分は自由につかってよい旨言われていたことも認められる。しかし、太郎が被告に渡していた生活費の法的性質からすると、被告が生活費の余剰から自己固有の財産を取得した場合には、右財産を被告の特有財産とみることはできても、単に生活費の余剰を太郎名義の定期預金としたに過ぎない場合には、右預金は未だ夫婦共同生活の基金としての性格を失わないと考えられるのであり、右預金も太郎と被告の共有財産と解される。従って、富士銀行久が原支店の前記五〇万円の定期預金は、その二分の一の金二五万円が、太郎の相続財産に帰属すべきものということができる。

他に、以上の認定、判断を左右するに足りる証拠はない。

四  抗弁について

《証拠省略》によれば、太郎が生前に代表取締役をしていた訴外乙山株式会社は、従業員が三、四〇名位の会社であり、太郎の葬式は社葬として横浜市内の豊顕寺で行われ、約三〇〇人余りの会葬者があったこと、右葬式の費用のうち葬儀社への支払分は右訴外会社が負担したが、豊顕寺への布施回向料一五〇万円、会葬者に対する挨拶状の印刷代五万六二〇〇円、墓石の設置費用六〇万円のほか、会葬者への接待費用、墓地永代使用料として相当額を被告が支払ったのであり、被告はこれらの費用を支払うために平和相互銀行及び富士銀行の前記各預金の払戻しを受けたものであること、以上の事実を認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

ところで、死者に対する葬式は、社会生活における慣習として当然営まれるべきものであり、いわば死者の社会生活の延長若しくは跡始末の性格を有することや、民法三〇六条、三〇九条一項が死者の身分に応じてなされた葬式の費用につき相続財産に対する先取特権を認めた趣旨等を考慮すると、本件のように相続人全員が相続放棄をした場合に、被相続人の生前の社会的地位に応じた葬式費用は、これを相続財産の負担として、同財産中から支弁することも許容されるものと解するのが相当である。

そして、既に認定したところによれば、被告が払戻しを受けた前記各預金のうち、太郎の相続財産に帰属すべき分は合計九七万一七五一円であり、太郎の前記の社会的地位に照らし、被告が太郎の葬式費用に支出した金額のうち、少なくとも右金九七万一七五一円程度の費用は、相応の葬式費用と考えられる。

そうすると、右葬式費用を支払うために前記各預金を被告が払戻したことは、原告になんらの損失を生じさせるものではないから、右払戻しを損失として被告に対し不当利得の返還を求める原告の請求は、その余の点を判断するまでもなく理由がないというべきである。

五  以上によれば、原告の請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 寺尾洋)

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